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関西学院グリークラブ創立からの歴史 明治22年(1899年)~昭和63年(1988年)
現在の関西学院の中心部。 グリークラブ専用のグリークラブホールは右上の一角にある。
明治22年(1889年)関西学院の最初の木造校舎。
明治27年(1894年)本館竣工。
明治33年(1900年)秋 日本で初めてグリークラブと名乗って演奏した当時の校歌「OLD KWANSEI」の楽譜。
明治35年(1902年)春 山田耕作(後に耕筰と改名)が入部。
明治45年(1912年)頃の学院風景。
(左)大正3年(1914年) 当時のグリークラブカルテット。(右)指導の岡島まさ。
大正8年(1919年)「第2回歌の夕」(日本メソジスト神戸中央協会、現 神戸栄光教会)
大正8年(1919年)9月 チェコ軍合唱隊が来院し、グリークラブと交流。
大正9年(1920年)6月 初めての演奏旅行を前にリハーサル演奏会。バックに初めてペナントが登場している。(神戸、イエス・キリスト教会)
大正10年(1921年)4月 高知演奏旅行へ向かう船上でマンドリンの合奏をするグリークラブ部員。
大正11年(1922年)4月 神戸原田の森に学院の中央講堂が完成。グリーにとって練習や発表演奏の場となった。
大正13年(1924年)当時のグリークラブ部員。ペナントが新しいものに変わっている。
昭和2年(1927年)関西学院が移転を決めた現、西宮市上ケ原の建設直前の風景。
昭和3年(1928年)10月 NHK大阪中央放送局にラジオ出演。
昭和4年(1929年)春 現、西宮市上ケ原に新校舎が完成写真左上の矢印の建物が以後30年間グリーの本拠地となった中央講堂。
昭和6年(1931年)10月 慶應義塾大ホールでワグネル・ソサィエティーと初の交歓演奏会。
昭和7年(1932年)1月 第5回曲目発表音楽会(神戸YMCA)。先の慶應義塾との交歓演奏会でペナントが慶應に比べあまりにも小さかったので大きなものに新調。
当時のペナントの再現。
昭和8年(1933年)6月 山田耕筰、北原白秋が関西学院の上ヶ原移転を記念して、新校歌制定の依頼を受け取材のために学院を訪れた。白服の左が山田耕筰、右が北原白秋。
昭和8年(1933年)9月 新校歌「空の翼」が完成。
昭和8年(1933年)11月 第7回競演合唱祭(東京・日比谷公会堂)に初出場。学生18人とOB8人の合計26人で演奏し第1位となった。
昭和9年(1934年)11月 第8回競演合唱祭に出場、2年連続で第1位となる。
昭和10年(1935年)1月 第8回曲目発表音楽会(原田の森 旧学院中央講堂)で演奏するグリークラブのOB団体「新月会」。 新月会は昭和9年(1934年)に発足した。
昭和10年(1935年)11月 第9回競演合唱祭に出場し、3年連続の第1位を獲得。その時、自由曲として演奏したのがこの「UBoj」で関学グリーの秘蔵の曲としてその名が広まった。
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